現存する社伝によれば乎豆神社は…

面積
  • 境内広さ1,686坪(5,564㎡)
  • 社領5町8反を有する。17,424坪(約57,500㎡)
  • 合わせて19,110坪(59,186㎡)東京ドームの1.27倍の広さ
建物
  • 一の鳥居、二の鳥居、御前の鳥居、中門、西の宮鳥居などを有する大社

何故?…今の様な神社姿に?

江戸時代後期の文化9年(1812年)6月5日に中川地域に大洪水が襲う

  • 残る記録には、ほとんどの建物が流失したと記載されている。
  • 一の鳥居だけが残ったのではないかと思われる。
  • この記述から流された鳥居、門などは地形から見て西側方向に(広岡)にあったのではないか?

その他

  • 徳川歴代将軍より十五石を寄進せられ(一石=150kg、15石×150㎏=2,250㎏(2250kg/30㎏=75俵))
    御朱印状に引佐郡神明領と御明文ありて格別の札を以て遇せられ一村落の小社と異にして、領主より特に崇敬厚かりしは論なき処なりと記されている。

※2023年6月5日は災害発生から211年目になります。

昭和25年頃に、静岡県立気賀高校が乎豆神社敷地内に建設が決まり工事が始まる

  • 敷地内の鳥居、社務所、灯篭、その他、移築された

災害(1812年?)から昭和25年(1950年)頃の乎豆神社境内の敷地概略図

延喜式内社乎豆神社資料参照(昭和59年10月16日発行)

昭和26年(1951年)から平成10年(1998年)

乎豆神社敷地内に気賀高校建設後の略図
当時の乎豆神社入口

平成11年(1999年)以降の乎豆神社略図

乎豆神社敷地内に気賀高校建設後の略図
現在の乎豆神社入口

※移設した灯篭が何処に配置されたかは不明

植木なども移植された『サルスベリ』の木が代表される

サルスベリ
現在の乎豆神社入口