乎豆神社の名前の由来を知っていますか? 

社伝に乎豆は地名で、徳川中期に刑部村は『津』と称したとある。
日本地名辞典に、「オ」は川口、「ツ」は船着場の意とあり、往古は川筋の集落に近い所にあったといわれる。
その川筋の右岸を男津(おづ)、左岸を女津(めづ)とも言う。言われは分かったが、何故『オ』=乎、『ヅ』=豆を書くのかは分かりません。

本殿

本殿

乎豆神社本殿

本殿西側と外宮(豊受姫大神を祀る)

本殿東側と内宮(天照皇大神を祀る)

本殿内部

本殿正面にある横額縁
額縁

左手に『神宮大宮司』二条弼基謹書とある。『神宮大宮司』とは、伊勢神宮大宮司の事
二条弼基(にじょう たねもと)氏 1976年~1985年間伊勢神宮大宮司を勤めた方
1910年(明治43年)~1985年(昭和60年)工学者、政治家、華族、貴族院公爵議員、工学博士

伊勢神宮大宮司二条弼基氏が書いてくれたこの社額「乎豆神社」は、伊勢神宮が神明宮である事を証明している書ではないのでしょうか?
この社額は1983年(昭和58年)に戴いたと記録にある。

神社等級認証書

神社等級認証書 

明治三十七八年戦役従軍者紀念奉額

本殿内に奉納されている写真

明治三十七八年戦役従軍者紀念奉額
明治三十七八年戦役従軍者紀念奉額