乎豆神社について、どれだけ知っていますか?

乎豆神社は、自慢出来るすごい神社なのです。

乎豆神社は正式には、『延喜式内社乎豆神社(えんぎしきないしゃおづじんじゃ)』と言います。

昔は「をづじんじゃ」と表記され、現在は「おづじんじゃ」。「おずじんじゃ」は間違いです。

その歴史は古く、創祀(※1)、創建年代は不詳、古代引佐郡家の所在地であり、第19代允恭(いんぎょう)天皇(※2)の妃(きさき)の名代として刑部が定められた地です。

平安時代(794~1185年)には伊勢の神宮領(伊勢神宮)の御厨(みくりや※3)となった地で、その関係にて伊勢神宮を勧請(かんじょう※4)したと思われています。

御祭神(ごさいじん)には、内宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)を、外宮に豊受気毘売神(とようけびめのめかみ)を祀り、長い間、神明宮(しんめいぐう※5)と呼ばれました。

乎豆神社は『伊勢神宮のミニチュア』なのです。

延喜式内社(えんぎしきないしゃ)とは、平安時代に醍醐天皇の命により編纂された法典の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に名前が記載されている、古い由緒と格式を誇る神社の事です。

  • 「延喜式」とは、醍醐天皇の命により日本各地の産業、特産物、官社などを調査した資料
  • 「延喜式」は、日本最古の文章として残っている記録(その前については、言い伝え)
  • 延喜式神名帳は、官舎について調査した資料(時の政府)
  • 調査開始905年~927年完成(調査期間22年間)する(平安時代794~1185年間)

この地(中川)に鎮座する乎豆神社は、延喜式神名帳に名前が記載されているので、少なくとも1,096年間の歴史が認められている歴史的生命のある神社なのです。

※1:創祀(そうし)とは、神様を最初に祭った年・・・・創建(そうけん)とは神社を建てた年
※2:允恭天皇(いんぎょう)(父親が仁徳天皇)在位期間412年~453年、現在の天皇陛下は126代目
※3:御厨(みくりや)とは、古代、中世の神社の荘園である神領の事
※4:勧請(かんじょう)とは、遠方の神社に祀(まつ)られている神様を地元地域に迎え奉(たてまつる)こと
※5:神明宮(しんめいぐう)とは、天照大御神又は伊勢神宮の内宮、外宮の神様を祀る神社の事

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